5月10・11日:個室へ


5月10日。朝6時、目が覚めて、病院から連絡が無かったことにホッとする。

午前9時過ぎ、母と一緒に病室へ行くと、父は眠っていた。

父に声を掛ける間もなく、副担当の先生が来られて、寝ている父の前でお話を伺う。



人の尿の量は、水分を摂っていなくても、汗の量に関係なく、最低500mlは出るもの。

今の父は、管を通して出ている尿の量が、100にも満たなかったりする。

腎機能悪化の急速さからすると、抗生物質の副作用ではなく、多発性骨髄腫そのものが原因。

だとすると、腎機能の回復を図る透析をしても、病気そのものが良くならなければ、同じことの繰り返しで、父の苦しみもそのぶん長引くだろう。



ということで、治療の望みは無いことを、あらためて、母と共に確認する。

眠っているように見えた父は、意識は起きているようなので、「おはよう」と声を掛けると「まだ起き上れるぞー」と言うように、むくっと起き上がり座った。






入院したての頃、口腔外科の待合席で、抗がん剤の副作用による口の症状の写真を見たとき、まさかこんな酷いことにはならないよねって父と母と3人で話していたその写真と父の口は、まったく同じ口になっている。

唇が切れてどす黒くなり、口角が鋭く見え、舌の上にも黒い斑点が覗いて見える。(後で、舌上の斑点は、鼻血か何かが付着しているだけだったと判りました)

口が乾燥しきっていることと、噛んでしまうことが主な原因らしい。

母が、「指で薬を塗ってあげてもいいですか?」と担当看護師さんに訊ねると「絶対にいけません」と言われた。

意識が朦朧としている状態の患者に、強い力で指を噛まれる危険性が高いからだと教わる。

腎機能の低下により、身体に溜まった毒や強い薬剤を、体外へ排出することができない。そのぶん、昨夜点滴で投与した睡眠薬の効きが長く、意識が朦朧としてしまうそうだ。



起き上がった父は、目を開けているのかいないのか、ムニャムニャした表情だ。

その目の前に、スヌーピーの顔を近づけて、「おはよう!」

と私が言うと、父は、目をまん丸に見開いて、口は驚愕!!!

といった役者のような表情を見せるので、私も驚いて「スヌーピーだよー」とおどけて言うと、「なーんだ」って感じの、ゆるい笑顔を見せてくれた。

「はじめて笑ったわ」と、母も笑顔になった。

その後も、母が父の耳元で愛の言葉を囁くと、にやにやと笑っていたり、私が「だいじょうぶだからね」と声を掛けると、「だーぶー」と頷くように応えてくれたり、昨夜の睡眠薬でぐっすり眠れたおかげなのか、ちょっと体力回復したのかなと思える。






その後、懇意にしている看護師さんから、緩和ケアのお話を伺う。

緩和ケア病棟へ移るには、手続きに通常2週間ほどかかり、父がそれまでもつかどうか。

在宅緩和ケアは、今の担当医師が訪問することはできず、来てくれる町医者探しからはじめないといけない。

また、母ひとりで看護するのは難しく、要介護1の祖母が二人居る家では、私だけではなく父の姉妹などにも頼まないと厳しい。

それに加え、在宅では注射ができない(これはたぶん、医療用麻薬を使えないという意味かな)



ということで、在宅で看取る可能性は無くなった。

緩和ケア病棟や在宅看護が無理でも、外出や外泊は可能。

1時間だけ車椅子で散歩したり、4時間だけ家に帰るとかする場合は、カテーテル(点滴)も外出用に備えてくれ、また、看護の指導もしても受けることができる。

一度でいいから外の景色を見せたい。一度でいいから家に帰らせたい。そう思ってしまう家族の心境は、まるで欲望のように広がって止まらない。

もしも自分が父の状況だったらと、想像し、やっていくだけだ。



2日ほど前、看護師さんが気付いたとき、父はサイドテーブルの上に座っていたという。

ベッドの上に立ち上がっていたこともあるらしい。

父に、庭の木の茂り具合や花の状況を報告し、明るい雰囲気でお喋りをし、午前11時半頃、私は病室を出て、一度帰宅する。






午後5時。姉や夫と共に再び病室へ行くと、父は眠っている。

昼下がりに見舞いに行った兄夫婦の話では、かなり悪いと聞いた。

たしかに、姉や孫たちが声を掛けても、夕方のせいか、日曜で来客が多かったせいか、起き上がる元気がないようだし、反応も少ない。

私は正直なところ、今日は父の笑顔に会えているから、今眠り込んでいるのは当然に見える。

誰だって、午前よりも午後の方が、ダルイしネムイもの。

母だって、朝はあんなに安心していたのに、夕方になると弱気になっている。

午後7時。帰宅した母は、「日に日にどんどん悪くなっていく‥」と何度も呟く。

昨夜とは逆に、今度は私が励ましの声を掛け、明日があることを祈る。






5月11日月曜日。

朝、母と共にのんびり10時頃に病院へ向かうと、病室に入って父が寝ていることを見て、ホッとする間も無く主治医が駆けつけ、別室で話があると早口で仰る。

別室といっても、すぐ隣がナースステーションなので、其処でパソコンモニター画面を見ながら父の状態を聞く。

 今朝の血液検査の結果、カリウム数値が7を超えている。

 数値が7を超えると、早くて24時間以内に心臓が止まります。

いよいよ迫ってきたな。と冷静に受け止めることができた。



緩和ケア病棟への引越し予約申請はキャンセルしてもらい、この病院で過ごすことを決めると、看護師さんから「個室が空いたので移りますか」と言われ、5分も待たないうちに、眺めの良い個室に移動することになった。

主治医は、個室は1日6千円ぐらいかかるけど大丈夫ですか?と、心配して訊ねて下さった。



父は仰向けの状態で眠っていて、心電図の数値で起きているか寝ているかが分かる。

心拍数が95~100だと眠っている。100を超えると起きている。

起きているときは、唾や痰が溜まって苦しいときか、そうでなければ皆の話に意識を傾けているか。

起きているときは、握っている手を握り返してくれることもある。



昼過ぎ、兄が仕事を早退して駆けつけ、母と二人で病室に泊まることになる。

夕方から夜になり夫が駆けつけた頃には、父は元気なときと同じようにぐーぐー眠っているように見え、今夜どうにかなるように思えず、私と夫は少し安心して帰宅した。





2015年5月20日水曜日 記





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