5月8日。手の施しようが無いと主治医から告げられる。
明日かもしれないし、一週間か1ヵ月か、これから先が判らないとのこと。
父が何かを言おうとしていても、もう何も聞き取れないし、わからないけれど、家に帰りたがっていることだけはわかる。
私は、家で看取ることを母に提案してみたけれど、40年以上も父のことを愛している母が「何よりも痛いことが嫌いなパパだから、それはどうかな‥」と言うのだから、私は母を信じる。
5月9日。父に会いに私が行けたのは、やっと午後6時を過ぎた頃。病室に入ると、母は泣きながら、ベットに座り込んでいる父を介抱していて、看護師さんが慌ただしく点滴を繋いでいる。
点滴を終え、看護師さんが立ち去り、やっと父に声を掛ける。「お父さん、来たよ」と言うと、「あうううー」と返事があった。
母には聞き取れなかったそうだけれど、私には「ありがとう」と聴こえたことが、嬉しい。
もはや父は、意識が朦朧としている状態で、ベットに座ることはできるけれど、座りながらも半分は寝ていて、時折大きく開く目蓋の奥の瞳は焦点が合っていない。
意思疎通は厳しい。
ここ数日、点滴や心電図が外れてはいけないので、ベットから立ち上がらないように、ベッドの柵の足元の隙間をサイドテーブルで塞ぎ、ベッド上に監禁されている父。
柵越し・サイドテーブル越しでしか触れ合うことができないのがもどかしく、主人に長いサイドテーブルを除けてもらい、ベッドの上の父の隣に、肩を寄せて私は座った。
すると、ちょうど先ほどの点滴(強い睡眠薬)が効いてきて、父は船を漕ぎ始めたので、主人が上半身、母が下半身を抱え、少し起こしたベッドに寝かせようとすると、父は「うーん」「うーん」と言って、嫌がった。
それでも横になると、口を開けてすぐに眠った。
眠らされている父の耳元に私は囁く。
おとうさん、ありがとう。もう大丈夫だよ。心配ないからね。
神様のことを考えてください。きっとすばらしいよ。
風になって知らせてね。
お父さんの子どもに生まれて私はしあわせだよ。
風になって、戻ってきてね。
いままでありがとう。これからも大丈夫。
眠った父を見て、母は、やっと解放されたかのように、「さ、帰ろう」と私たちに言うと、父は一度、目を開けて、また眠った。
枕元に置いたスヌーピーのぬいぐるみのことを、担当の看護師さんに断ると、笑顔無く、真顔で、ただ頷いた。
点滴で投与した睡眠薬は強いので、「寝ているあいだに呼吸が止まることもある」と看護師から聞かされた母は、それでも父が休んでくれることを願い、そこに託している。
母の決断は、他の誰のものよりも、父にとっては正しい。
明日また会えますように。はやく緩和ケア病棟に移れますように。
2015年5月19日火曜日 記
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多発性骨髄腫