祖母の存在




おばあちゃんって、どんな存在ですか? 今日は、私のおばあちゃんの話をします。

小学校の道徳の授業で、「お年寄りは知恵袋です」「か弱いけれど優しい」「尊敬すべき存在」などの、教えを私は受けました。

しかし、父方の祖母は、私にとって「こわい」存在です。




祖母は口が達者で癇癪持ち。貧しい町に生まれ、商売人の家の末っ子として育ち、何でも人より自分が先。「人付き合いはお金がかかるからしない」「他人は利用してなんぼ」だと、90歳を過ぎた今でも言っています。

見合い結婚で祖父と結ばれた祖母は、気弱な祖父を嫌い、子供達が未だ成人しないうちに
家を出てマンションを借り、お店も借りて、スナックのママをしていました。費用はすべて祖父持ちです。お客の男性と旅行へ行ったりと好き放題の生活を続け、週に一度だけ家に帰ってきました。

幼い私は「どうしてうちのおばあちゃんはふつうのおばあちゃんじゃないんだろう」とずっと思っていました。その頃、身体が不随になった祖父の入院生活が10年ほど続いていたのですが、祖母は「病院はきらい」という理由で、祖父の見舞に行かない。そのため、着替えを持っていくことや、一時退院の下の世話などは、すべて母がしていました。




私が小学生の頃、一人暮らしをしている祖母が、一度倒れて救急車で運ばれます。その後「少しの間だけ保養させて」と、父に言ったそうです。「あかん」と断る父を振り切って、母が了承したのです。

すると祖母は、父母に内緒でマンションを引き払っていて、「他に住むとこない」と言ったそうです。私は憶えていませんが、本心を殆ど口に出すことの無い父が、勝手に出て行き勝手に帰ってきた祖母にそうとうな怒りをぶつけたのだとか。

それから祖母との暮らしが始まりました。ご近所や親戚との揉め事は絶えず起こり、口は出すが責任は取らない。嫁姑の喧嘩は常。母がいつも私たち子どもに愚痴を言い続けていた、その洗脳で、私の中で祖母は「悪人」となりました。

実際、家族の留守中に祖母はこっそり各部屋を徘徊し、箪笥や引き出しの中を覘くのです。「あの子は部屋が汚い」「あんたイイモン持ってるな」と言われて、部屋の中の物の位置が変わっていることに気付いている私は「やっぱり」と思うのです。それだけならまだしも、母は上等な着物を何着かとられています。



だから、祖母との同居は、様々な面で気を抜けない生活であり、私は「結婚して家を出る日」を待ち望んでいました。問題は、私が出て行った後の母と祖母の関係です。

20代を過ごす中で視野が広くなった私は祖母を疎まないよう、優しい目で見るように心掛け、母と祖母の間を取り持つ役目をしていました。その私がいなくなったら?

祖母は気が強いので大丈夫だけれど、母の心労が心配でした。

ある年末の夜、祖母と母と私、女三世代が集まって、話し合いをしたのです。祖母と母がそれぞれ言いたいことを言い合って、最後には3人とも笑顔になり、これですっきり! これからはもっと打ち解けて行きましょうよ♪って雰囲気になったのです。

その晩の就寝中に祖母が呻き出し、病院に運ばれて、息を引き取った。ならばメデタシメデタシだったのですが、祖母は助かった。私は、話し合った時間の祖母と母を信じ、翌年に結婚して、家を出ました。



ところが母のほうでは、祖母が上っ面で物を言う人だと固く信じていて、みんなで話し合ったことなど信用していなかったのです。私はそのことがショックでしたが、母はそれだけ、今まで悲惨なほど祖母の言葉に裏切られてきたということです。

しかし母が見ているのは過去の祖母であり現在ではない。その思いは祖母にも影響し、家族とうまくやろうと努力しても、祖母は昔の自分に戻されてしまう。

でもそれは「祖母より若い母」が乗り越えるべきことだと私は自分に言い聞かせ、実家に帰るたびにエスカレートしている母の愚痴に、耳を傾けるのが私の役目だと、安易に考えていました。「オニヨメだねー」なんて笑って済ませていたのです。

ちょっとおかしいなと思ったのは、帰るたびに家の中のカビや埃が増していることと、母の洋服がすごいスピードで増え続けていることでした。



転居の一件があり、実家に戻った私は、父から聞いて知りました。私が嫁いでから母のストレスは増してゆき、今では睡眠薬を常用していると。

母からも、「死にかけのところをまたあんたに救われた」というようなことを、はっきりとは言わなかったけれど、実家に戻ってから聞かされています。

ああ。本当に辛いことがあったけれど、主人にも肩身の狭い思いをしてもらっているけれど、このタイミングで実家に帰ってきて良かったと心から思いました。

それだけで終わらないのが人の一生。母と私の間にも、空けておきたい距離があり、94歳になっても変わらない祖母の性格に嫌気がさしたり。同居って、本当に気遣いが大事。家族は、一番小さな社会です。血族であっても他人は他人。

それぞれの個性を受け入れて、折り合って暮らせますように。



2014年9月6日 記



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