実家へ越す




入籍した2012年4月から、3階建ての小さな借家に住んでいました。

ご近所さんともうまくいっていたし、家主さんのお人柄の良さもあって、羽曳野での借家暮らしを気に入っていたのですが、家族の事情が幾つか重なり、ドタバタと引っ越すことになったのです。







転居先は、母の友人(以下、家主さん)が、かつて住んでいらした家。

築30年程の、2階建ての一軒家。10年ほど人が住んでいなかったその家は、家主さん一家の物置となっています。

目の前には2車線の道路が通り、東と南は広い青空駐車場。その土や砂利のせいか、ベランダには砂埃が分厚く積もっています。



2階に3部屋あるうちの1部屋は、家主さん家族の物置として使用する条件付き。

1階の応接間は、20年以上前からピアノ教室として使われていて、私たちが住んでからも、週2回、夕方の1~2時間は先生が来て教室を開く条件付き。



初めに聞いていた家賃は3万円で、「あなたたちが住むなら5万円」と言われたので、現状で満足している私たちがわざわざ引っ越す金銭的メリットは無いどころか、マイナスに近い。

断りかけたところ「土間をバイク置き場にしてもいいよ」という話が出て、それならということで話を進めました。






敷金礼金は要らないということで、家主さんが業者に依頼する出費を抑えるために、6月頃から母と私は、片付けと掃除のために通いました。

すると、片付けているうちに、たくさんのアラが目に付きます。

寝室の壁紙の大きな亀裂や破れ。
壁に空いた10㎝ぐらいの穴。

居間になる和室の珪藻土は、周囲ぐるりが猫に引っ掻枯れたような傷だらけ。
傷んだ畳はそのままで、表替えも裏返しもなし。

台所の床は抜けていて、簡単にベニヤが打たれている。
浴室は台所コンロのすぐ後ろに設置されていて、脱衣所なし。
その浴室はタイルがヒビだらけ。

ハウスクリーニングやゴキブリの駆除も無し。
10年放置してきた浄化槽の清掃と点検も無し。

下水が通っていないことを聞かされたのは、入居ギリギリになってからのことです。(浄化槽は、二人暮らしだと下水代よりも割高になる)

そういった様々な問題には目を伏せて、良い方向に考えるよう努めました。

このお家の現状に家主さんお金を掛けず、私たちの手で出来る限り綺麗にしながら住み、出てゆくときに、次の人のために壁紙を張り替えたりしてくだされば良い。

という気持ちを、主人も私も抱いていたのです。



「湯沸かし器は故障していたら私が直すけど、たぶん使えるから」と家主さんは言っていたのですが、家主さんの知り合いの業者さんに診てもらうと、残念ながら故障していることがわかりました。

古い機種のため、修理不能で高くつくと診断された時、家主さんは「換気扇と湯沸かし器と合わせたら安くなる?」と言って、私がそのままでいいですと断っていた換気扇も交換。合わせて20万円かかったそう。

以前実家の給湯器を交換したときは6~80万円位かかったので、家主さんの負担がそれよりも安く済んで私はホッとしたのだけれど、家主さんは「20万もかかったわ!」と何度も言っていたました。当然ですよね。私は複雑な気持ちです。






引越し1週間前、すでに家財の半分を運び込んでいる状況になって、突然家主さんが「保証金を払うのが普通よ」と言ってきたのです。

関西で言うところの「保証金」とは普通、家賃滞納に対する保証です。だから敷金礼金はいらないけれど保証金は必要。というなら話は分かります。

でも家主さんは「たとえば和室の壁が汚れたら全面張替えが必要でしょ。畳に傷をつけたら全部取り替えなきゃいけない。そのための保証金よ」と説明しました。



その場に私の両親もいたのですが、私たちは皆あっけにとられ、言葉を返せません。

・・この悲惨な現状の壁や畳で生活して、出て行く時にお金を請求されるの?

その保証金も、最初は「20万円」と、きっぱり仰ったのですが、私たちがそれは払えないと言うと10万円に下げ、母が口を挟んで5万円に落ち着いた。という感じ。

湯沸かし器代を取り戻したい様子だったので、それならそうと言って欲しかった。



さらに輪をかけて、「バイクは土間に置かず、ガレージに置いて」と言い出した。

家主さん(の旦那さん)は土地持ちで、50m程離れた場所に、シャッターつきの貸しガレージを所有している。家主さんたちが物置として使っているガレージの「隅に置いておくだけならいい。バイクいじりはダメ」と。

バイクいじりのできないバイク置き場って、私たちにはありえない。



引越しまであと1週間。

このまま言われるままに家を借りるのか。
だとすると退去するとき多額の請求が来るだろう。

住む予定は2年だけれど、その短い期間の内に何が壊れるかわからない。

浄化槽の修理を折半で請求される可能性も高い。
水道の出もおかしかったし。

あの家に住めないとしたら私たちは宿無しになるのか。

とりあえず家財をコンテナルームに預け安ホテルで過ごし
最短で別の住む場所を決めるか。

最終手段は新世界行き?!



毎日主人と話し合い、父母の意見を聞き、姉にも相談し、私は生まれて初めて躁鬱状態を経験しました。

最中に誕生日を迎えた私は、「この困難は誕生日の贈り物だ!」と有頂天になって、母に感謝のメールを送り、何もかも幸せでバラ色に見えた。

かと思うと、夜にはすべてが鈍い灰色で、主人が家のことを話し始めただけで、頭を机に打ち付けたくなる。

そして、苦悩は生きているかぎり際限なく上限なく訪れるのだと思うと、笑いがこみ上がってきて、一人で大笑い。

食欲も体重も落ちて、結婚してから初めて、母に心配を掛けてしまいました。

その原因は、何よりも家主さんの気ままさが元なんだけど、携帯電話に家主さんから電話が掛かってきて「ママに心配かけちゃダメよ」と、お説教もされました。






そして引越し予定の前日、家主さんの本家に二人で乗り込み、話し合いをしました。

家を借りる条件が最初とかなり違っていることを、丁寧に説明したのです。

家主さんは、他に幾つものマンションや借家を、仲介業者無しの独自で管理されている。にも係わらず、国交省のガイドラインを提示しても「なにそれ?そんなのわたし知らない」と、はねのけました。

そのあと交渉が決裂して、最後に、私の母が何日もかけて片づけを手伝ったことについて、どう思っているのか?と主人が問いただすと「あの人が私に手伝わせてくださいって頭下げてお願いしてきたのよ。私は頼んでないわ」と言った。

主人の怒りが沸点に到達してワナワナと震えているのをなんとか抑えてもらい、その立派な本家を後にしました。



その本家から実家がすぐ近所なので、実家の両親に話し合いの結果を報告しに行き「お母さんが頭下げてお願いしたの?」と訊くと、「掃除きらいやのに、そんなこと言うはずないやん」って、人の良い母もさすがに立腹した様子。

後に母から聞いた話では、家主さんはご近所奥様連の中でも有名な人で、母が家主さんと交友があることを疑問視したり注意したりする人が今まで多々いたようです。

家主さんとは一度だけしか会ったことのない姉も「あの人の話はころころ変わって信用できない」と(後になって!)私に言ってくれました。

みんな、もっと早く言ってよね。

そんなこんなで、もう少しで住所不定になるところ、幸いにも私の実家のスペースに余裕があり、父も母も「おいでおいで」と呼んでくれたので、私たち夫婦は今、私の両親・父方の祖母・トイプードルのココくんと暮らしています。







住み始めて数日は、怒りおさまらぬ主人の精神バランスは、乱気流に流されていましたが、今はとっても馴染んで「かいてき〜」と言っています。

父と母は、良くも悪くも金銭的な欲目が殆ど無いので、私たちは月々定額の食費を払うことだけが義務とされ、家賃も光熱費も無し。そのぶん貯金ができるので、私は父母に雇われている気で、家の中で働くことにしました。

結婚して、家を出てから2年と少し。

その間に実家の中は、たいそう汚れてしまっているのです。浴室はカビまみれだし、どの部屋も、物が散乱しています。

私が今から実家に住む数年の間に、母が嫌いな掃除に専念して、この家のお役に立てるよう、一心不乱に努力することを決めました。

毎日毎日掃除掃除で明け暮れ、筋肉痛でへとへとで眠くってふらふら。

でもやってやる!と心を奮い立たせています。






掃除に関するあれこれは、今後ひとつずつ記事にしてゆきたいなと思っています。

主人と二人だけで過ごした、前・家の最後の夜に「どんな結果になっても、それは私たちを幸せへ導く結果」であると、二人ともが信じた。

そして今も信じ続けていられること。これこそが私の幸せの根源です。

多謝 ☆



2014年8月28日 記



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