3月9日に退院した父は、3月16~28日の期間、抗がん剤治療のために再入院しています。
その後は順調に、4月1日に口腔外科へ通院し、4月9日からの二週間は通院治療を受け始めていました。
介護認定が決定
退院後は、介護認定で要介護2になったと思えないぐらい調子良く過ごしています。
暫くは車椅子で外出していましたが、杖だけで大丈夫になり、犬を連れて散歩したり、チェーンソーを買ってみたり、庭の草抜きをしたりして。
近所の公園へお花見に、2回も行くことができました。
父と自転車
そして、なんと、自転車にまで乗ったのです!
元気な頃の父が自転車に乗っていたのは、最寄り駅までの毎日の往復と、週に一度の釣りの日でした。
寒い日も風邪の日も、近所の池で仲間とフナ釣りをすることは欠かさなかった父。前カゴにも荷台にも釣り道具を満載させて、ゆっくりと自転車を漕ぐ父の後ろ姿。
もう二度と父は自転車に乗れないと私は思っていたので、感動。でも、ふらふらしすぎて道すがら壁にぶつかったりして、主治医の先生に止められてしまいました。
通院治療中は
通院治療にしたのは本人の強い希望のためで、主治医からは「おすすめしない」と言われていたのです。
味覚障害
抗がん剤の副作用は味覚傷害が強いようです。何を食べてもおいしくないし、大好きな牛肉を食べても味がしなくて気持ち悪いと訴えます。
そのことを先生に相談したところ、3月16日からの治療は、抗がん剤の量を「30分の1」に減らすことになり、その分、治療回数を増やす運びとなりました。
おかげで味覚傷害もマシになったようで、元の味覚に戻らないまでも、普通の食事を摂れるまで回復。
でも「30分の1」って、ちょっと減らしすぎじゃないかなと私は思います。(減薬は母から聞いたことなので数値は不確かです)
睡眠障害
味覚傷害が弱まってくると、今度は睡眠障害です。
処方されていた眠剤では効かず、もっと強い眠剤の処方を願うと、主治医は「不眠で死んだ人はいませんから」と仰り、処方してもらえなかったようです。
本人は「眠れずにイライラする」「ひとつのことが頭から離れない」と言って、辛そうにしています。
睡眠薬を飲みすぎて、不眠とせん妄がますます酷くなり、自己中心で気づかいができなかったり、会話の辻褄が合わなかったりします。
「トンチンカンなことばっかり言うんです」と母と私が主治医に訴えると「睡眠薬の飲みすぎですね」ということで、眠剤は没収に。
失禁
尿失禁や、時には便失禁もあり、父はおむつを着用しています。
先生からは「前立腺肥大は多発性骨髄腫と関係ないので、近所のお医者さんに診てもらって下さい」と言われました。
尿失禁は、病気が発覚した最初の入院時に起こり、入院中は治まったり酷かったりしていたけれど、最近また酷くなっています。
トイレを汚してしまうことも度々あるので、神経障害かな?と私は思ったりもしますが、原因が不明です。
また背中が痛くなる
通院で抗がん剤治療期間中の4月18日頃、「背中が痛い」と言い出しました。
救急診療を受ける
翌19日には「痛みが我慢できない」ということで、病院へ車で連れて行き救急診療を受けたのですが、血液検査&CTで異常なし。
鎮痛剤を点滴したけれど、帰宅して1時間も経たないうちに、また痛みが出る。
4月20日は治療日なので通院し、先生に相談すると、エンドキサンを無しにして、暫く中止していたオキシコンチン錠を再開することに。
4月21日、今度はお腹の上辺りが痛くなる。
再入院
4月22日。いくら飲んでもかまわないと言われていた頓服を、何錠飲んでも痛みが治まらない。昼に白粥を食べてすぐに嘔吐。
午後、痛みに耐えられなくなり、救急診療を受け、「痛みが治まるまで入院しましょう」ということで再入院。
病気の進行
また骨折したのかなと案じていたけれど、今日担当の副主治医の先生がおっしゃるには、「たぶん、多発性骨髄腫の病気による痛みですねぇ」
LDH値が、ここ数回の血液検査によると、徐々に増えていて、4月20日の段階で626(10/l)。今日の検査数値は聞けなかったけれど、また増えているとのこと。
ヘルペスが
お腹のところにプツプツが出来ていて、ヘルペスの可能性があるそう。
3日前には無かったのにと父に言うと、昨日プツプツが現れて、掻いちゃったんだって。
この3日ほど、口数がめっきり少なくなっていた父。今日はますますへの字口。今回の入院は、3週間になる予定です。
2015年4月22日 記
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多発性骨髄腫