5回目の抗がん剤の副作用で父は辛そうな毎日を送っていますが、昨日無事に一時退院をすることができました。
入院と治療にかかった費用
この1ヵ月程の入院と治療で、病院に支払った費用は9万数千円。治療前に先生から10万円位になると言われていたので、その通りの額になりました。
あらかじめ限度額適応認定証をとっていたのですが、これはたぶん、抗がん剤治療にのみ限度額が適応され、その他の処方薬代や口腔外科代等は適応外になっているのではないかと思います。
先の見えない出費
月10万円は痛すぎる出費です。しかもこの先、父が亡くなるまでずっと続くのです。
でも、がん保険に入っていたおかげで、病院に支払う費用の他、おむつ代や食事代、毎日病院へ通う交通費などがまかなえて本当に助かっています。
乗り越える
入院した当初は、1ヵ月も生きられるなんて思ってもいなかったです。
お父さん、がんばってくれてありがとう。
私たちと同じように、今日明日を宣告されたご家族がもしもこの記事を読んで下さっているのだとしたら、諦めるのはまだ早い!という希望の光を見つける助けになればと願います。
父の場合は最初の肺炎を乗り越えたのが大きな鍵でした。
退院中は用心が必要
退院当日は、帰りにロイヤルホストでステーキを一切れ程と、ホットケーキを一口程だけ食べ、その後ケーキ屋さんへ行こうと父は言って、食べたいケーキを選びました。
移動は私が運転する車+車椅子です。
掃除やホコリにも気をつける
母が知人から聞いた話では、その人のお姉さんが骨髄腫で、「移植手術が成功し退院後に男所帯で散らかった家の中を患者本人が大掃除をしたら肺炎になって亡くなった」そうです。
それを聞いた私は、ウイルスだけでなく、埃もだめなのかと思い、父の帰宅に備えて、二階の寝室を一階の応接間に移し、前日までに壁も家具も水拭きして念入りに大掃除。
父の退院中に3tトラック2台で祖母が引っ越してくるので、万全の注意が必要。
寝室から玄関を通りトイレに行くぐらいは自分ひとりで歩けるようになりました。
免疫力が殆ど無いため、ココ(トイプードル)と一緒に眠ることは先生から禁じられているのですが、構わず一緒に寝ています。
感染を少しでも防ぐために、主人と選びに選んで空気清浄機を買いました。
応接間が寝室に
私が小さい頃から応接間だった日当たりの良い部屋が、今では父が眠るリクライニングベッドの横に、母が眠るソファーベッドが並べられ、枕元には父の好きなアレカヤシと、私が置いた電気スタンドが置かれた、素敵な寝室になっています。
居間に続く引き戸は擦りガラスになっているので、「昔の連れ込み宿みたい」と母は照れながら言っています。
「おばあちゃんが片付いてパパと二人になったら、二人で国内旅行を楽しむ。」それが母の老後の夢。おばあちゃんが元気でも、遠くは無理でも、母の夢が少しでも叶うといいな。
副作用なのか病状なのか
退院してからも父の食は細く、どれも少しつまんで食べる程度です。まっ白なおかゆさんだけは茶碗に1~2杯食べられるようになりました。
甘い匂いがムッときて吐き気がすると言っていたかと思うと、あっさりしたスイーツは味がしないと言って、あまーい大福やチーズケーキを食べたりもします。
抗がん剤の副作用で、舌が苦味を強く感じさせているようです。「このまま味覚が無くなったらどうしよう」と今朝は言っていました。味覚のほかに嗅覚も異常になっているようです。
ささやかな夢
同じ姿勢でじっとしているのが辛いせいで、寝室のベッドにもぐったり居間のソファーに座ったりと家の中をウロウロしています。
「たいくつ」なんだって。
昨日、突然「戦艦武蔵の1メートル級プラモデルを2年ぐらいかけて作りたいな」と父が言ったので、私は返事に困りました。
また、愛用の古いドコモのガラケーをauのスマホに替えたいとも言っています。今日明日死ぬ気はさらさらないようなので安心。
退院して、本人は「日に日に良くなってる」と言っています。
生きている証
「明日死ぬと思って生きる」というような言葉を聞きますが、実際に父が明日死ぬかもしれない状態にあって今できることなんてそう簡単に思いつきません。
スカイダイビングでもしたいところですが、映画と違って多発性骨髄腫患者は骨がとても弱くなっているため、どうしても出来ることが制限されてしまいます。
生き方は人それぞれ
無茶をしてでも愉しんで寿命が縮まるか、用心しつつ少しでも長く生きることを願うか、それはその人その家族それぞれの考え方があるので、こうした方がいい!と一概には言えないことは明らかです。
父が入院してすぐの危篤状態にあった頃、私は何をすればよいのか、私には何が出来るのかわからなくて、友人に助けを求めました。その友人は昨年お父様を亡くしたばかりなので、私が訊ねたいことをわかってもらえると思ったからです。
するとその友人は「お父さんとお母さんが結ばれたから自分が今生きていることに感謝。気持ちを言葉で伝えて手を握ってなるべく傍に居てあげて」という内容の答えを返してくれました。
巡り来る時間の中で
その時は心の底からそう思い、私は本当に父のことが好きで大事な存在だと、震えるほど思いました。
ですが、峠を越えた父のお見舞いに通いつめたり、家に居て目が離せない状態の父と一緒に過ごしていると、感謝の気持ちは薄れてしまう。
家族ってそもそもそういうものかなーなんて思います。
こんなふうに何気ないひとつひとつのすべてが、あたたかな思い出となる、生きている証なのかもしれません。
2015年3月18日水曜日 記
:
多発性骨髄腫